千葉商科大学「THE University LIVE」インタビューvol.1
全身全霊で歌う姿は、魂を揺さぶるかのよう――。2015年6月21日、千葉商科大学のオープンキャンパス内で高校生限定のスペシャルライブ「THE University LIVE」に登場したシンガーソングライターの石崎ひゅーい氏。大学初となる1日限定で行われたこのライブには、石崎氏をはじめ、七尾旅人氏、近藤薫氏、南壽あさ子さんらが人気アーティストが集結した。石崎氏がどんな音楽人生を歩んだか、また、学生たちに伝えたかったことについて聞いた。
音楽プロデューサー須藤氏との出会い
「僕もシャイなんですけれど、学生たちもシャイでしたね。シャイとシャイがぶつかり合った感じです。みんながドキドキしている感じが伝わってきた」と開口一番、笑いながら語った石崎氏。
石崎氏がミュージシャンを目指したきっかけは、意外にも無邪気な発想だった。「当時、(女性アイドルグループ)SPEEDのファンクラブに入っていて、(島袋)寛子が好きだったんです。当時の僕のゴールは寛子に会うこと。また、中学3年生の時に学園祭で歌ったら、女の子にちやほやされたこともきっかけになりました。」
中学3年から高校3年生までコピーバンドを、大学時代に結成したバンドではオリジナル曲をつくって、本格的なライブ活動を行っていた。音楽プロデューサーの須藤晃氏に出会ったのを機に、2010年にバンドを解散して、ソロに転向する。「当時、バンドもあまりうまくいってなかったのもあったのですが、単純に自分の歌が評価されたいという欲が出てきた。このまま終わったらもったいないなと思っていたら、須藤さんに出会って、ひとりになった方が、その欲が満たされると確信したんです。結果的にはひとりの方が全然向いていましたね」と当時を振り返る。
2012年にミニアルバム『第三惑星交響曲』でメジャーデビューを果たすことになる。
音楽の原点は、母親の存在
「ひゅーい」という名は本名だ。母親がイギリスのミュージシャン、デビッド・ボウイのファンで、その息子がZowie(ゾーイ)という名前だったことから、Huwie(ひゅーい)と名付けられた。石崎さんの母親は2008年に亡くなったが、今でも石崎氏の音楽に多大な影響を与え続けている。「僕ってものすごいマザコン。だから、自然と母にささげる歌が多くて。小さい頃から、芸術的な教養を身につけさせてくれたのも母親で、地球で一番尊敬し、一番影響を受けた人なんです。ですからデビュー曲も母親の葬式の歌でした」と、音楽の原点を語ってくれた。
「大学って高校から少し解き放たれて自由になる場所だと思うんです。僕が思うに、高校までは一方的に教えられる場所だったと思うんですが、大学って、自分から教えてもらいに行く場だと思う。自分がこれから進むべき道をゆっくり探すところが大学なんじゃないかな。とくに必要なことは、何を勉強するかよりも、色々な人に出会うこと。たとえば、友達とか、結婚するかもしれない相手とかね。でも、僕にとっては、出会いがなかったので、実はすごく後悔していて。だから、余計に強くそう思う」と話した石崎氏。実体験を元に、聴く者の心を揺さぶる曲を紡ぎ出す彼だけに、重みのあるメッセージだ。
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「僕って自分のことばかり歌っているんです。バンドって個人じゃないみたいなところがあって、ひとりの場合はただ個に突っ走っていけばいいから、ソロの方がより自分自身に向いていたと思っています。」2015年6月には、劇団鹿殺しの舞台に初挑戦をし、歌以外にも活躍の場を広げている。果敢にチャレンジし続ける大切さを、あらためて感じるひと時だった。
<プロフィール>
シンガーソングライター。
1984年、茨城県水戸市出身。大学でバンドを結成し、本格的なライブ活動を行うものの、音楽プロデューサーの須藤晃との出会いをきっかけにソロシンガーに転向。2012年7月、ミニアルバム『第三惑星交響曲』でメジャーデビュー。2013年2月から5月にかけて全国47都道府県を回るライブツアー「全国!ひゅーい博覧会」を実施した。同年6月にテレビ東京系ドラマ『みんな!エスパーだよ!』のエンディング曲『夜間飛行』を、7月に1stフルアルバム『独立前夜』を相次いでリリース。2014年4月に、自身の亡き母をテーマにしたコンセプトアルバム「だからカーネーションは好きじゃない」を発表した。2015年6月には、劇団鹿殺しの舞台『彼女の起源』に初挑戦した。
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