2018年2月22日、千葉商科大学サービス創造学部の中村秋生教授が63歳で急逝されました。編集部ではあまりにも突然で早すぎる死を悼み、2013年12月2日に掲載した中村教授の記事を再掲載します。中村教授、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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千葉商科大学サービス創造学部の教員を紹介する「教えて、センセイ!」。その第1回に登場するのは経営行動論を専門とする教務委員長の中村秋生教授。アパレル企業の人事部を経て、現在は研究者、教育者としての実績を積み重ねる彼が考える学びの本質とは。

 
 

経営学の主役は生身の人間、だからこそ難しい 

――先生のご専門は「組織行動論」ですね。

中村 人と人との関わりには2種類あると言われています。

そのひとつが「争う」こと、究極的には戦争です。争いばかり続けていれば人間は滅びてしまうはずですが、実際にはそうはなっていません。すなわち、もうひとつの人間の関わり方があるからです。それは協働、いわゆる「助け合う」ことです。そして、人が協働し合うために組織はつくられるのです。

しかし、人と人の間には、利害関係、価値観の違い、あるいは感情などが影響して、さまざまな問題が起こります。どのように人間関係を築き、どのようにやる気を保ち、どのように人を引っ張っていくのか。そこでは、コミュニケーション、モチベーション、リーダーシップといったテーマが必ず問題になります。

経営学の本質はこうした人間固有の問題にあり、私が研究する組織行動論もその一部を担っています。

 
――対象が人間ゆえの難しさもありそうですね。

中村 経営学は、歴史的に100年そこそこの新しい学問です。いかによい経営をするか、と考えるとそこには必ず、喜び、苦しみ、怒り、悩む、生身の人間たちが出てきます。どんなに素晴らしい戦略が策定できても、組織が円滑に作用しなければ実行できません。

たとえばそのひとつが「リストラ」です。かつて私は、レナウンの人事部で19年間勤めてきました。その間にリストラも経験し、その事務局として多くの社員からさまざまな相談を受けたこともありました。机上の経営論では、人員削減によって財務改善を計算するわけですが、現実には人の感情が存在しますから、組織にはさまざまな影響が及びます。

学生たちにも、ただ仕組みだけを教えるのではなく、仕組みの裏側にある存在する人の重要性を伝えていきたいと意識しています。

 
 

善良な市民が悪人への一歩を踏み出す瞬間

 

――先生が、今一番関心を持たれているのはどんな分野ですか。

中村 それは「倫理」の問題です。さまざまな企業の不祥事が世の中を騒がせています。私にも会社員時代の原体験として、会社の懲罰委員会などにかけられるケースを見てきました。悪いことをした人も、元々凶悪だったわけではありません。よき親、よき夫、よき妻、よき息子、よき娘、よき隣人……そういう人たちが、ある一線を踏み越えてしまうのです。

何故その一線を踏み越えてしまうのかと言えば、それはそこに組織があるからです。この点については、組織と人の行動との関わりを論じる「組織行動論」の観点から研究し、自分なりに解明してきました。

次の課題は、どうしたらこの問題を解決できるかという議論です。すなわち、善良な市民が一線を踏み越えないようにするにはどうしたらいいかという研究です。

 

――確かに、経営におけるリスクマネジメントは注目を集めています。

中村 ええ、「企業倫理の制度化」が課題となっています。これに対して、経営者や個人が頑張るだけではなく、組織として予防しようという動きがあります。倫理担当役員を置いたり、倫理委員会を立ち上げたり、あるいはコンプライアンス担当部署を設けたりしながら対応する動きです。倫理についてスタンダード化したり、何か問題が起こった場合にホットラインで直接相談できる窓口を設置したり、内部告発が円滑にできる仕組みをつくったり、そして倫理教育を施したりと、企業倫理を制度化するためにさまざまな取り組みが行われています。

大学という高等教育機関で扱えるのは、これらの中でも「教育」だけです。ですから私は、高等教育機関における倫理教育、中でも「経営倫理教育」に関わっていきたいと考えています。この経営倫理教育についての研究がなされているのは、欧米が中心で日本にはほとんど研究の蓄積がないため、欧米の先行研究を手掛かりにして、実際のビジネススクールや大学などで、どのような教育が行われているのかを調べ、自身の研究を進めているところです。

 

――具体的にはどんな内容なのでしょう。

中村 まず、自分が直面している問題がいいか悪いか、はたまたグレーゾーンなのか判断することが大切です。これらは認知教育といって、比較的研究が進んでいるジャンルです。

しかし、把握した問題を解決できるかどうかはまた別問題です。つまり、悪いと判断できたとしても、いい方向に向かって「やる」「やめる」という行動がとれるかどうかです。これは単に論理的に理解するということだけではなくて、感情や意志といった部分、いわば「道徳的勇気」をいかにして養うかという徳育教育の問題になるのです。実際には、この勇気がどういうもので、それは倫理的行動にどのように結びつくのか、そしてどうしたらこの勇気が身につくのかを明らかにしなければなりません。この研究を進め、理論としてまとめていくことは、今後しばらくの間、私自身のライフワークになると思います。
 
 

大学での学びとは、社会を見る「メガネ」を手に入れること

 

――経営学を学んだからといって、実際にすぐに社会で生かせるわけでもありませんよね。

中村 医学部が「医者を養成する」機関だとすれば、経営学部も「経営者を養成する」機関ということになりますが、実際にはそう簡単ではありません。知識を得たとしても実践できるとは限らない。「知っている」ことと「できる」ことは違うからです。私自身も含め、そういう意味で多くの人が壁にぶつかる姿を見てきました。

一定のポジションを得てグループをまとめたり他部署と連携したりと、さまざまな形で人と関わる機会が多くなるにつれ、それまで学んできた方法論を改めて意識しながら用いることもありましたが、それは会社員として時間と経験を重ねて体験したことでした。

ちなみに、人事部では社員教育をしたいと思っていましたが、実際には、教育だけではなく、採用、異動・昇格、人事考課、企画、人事システムのプログラムづくりなど、さまざまな仕事を経験しました。大学で学んだことだけではなく、本を読み、講習を受け、専門家の話を聞くなど勉強の連続でした。学生に限らず、社会人になってからも、学ぶことはずっと続いていくのだと思います。

 

――大学での学びが生かされたと感じたことは。

中村 大学時代の師が、日本におけるケースメソッドの第一人者、坂井正廣先生でした。

「どのような問題があるのか」

「なぜそれが問題なのか」

「問題の原因は何か」

「問題同士はどのように関わっているのか」

「どのようにすると解決するのか」

「複数考えられる解決策からどのように選択するのか」

このような論理的思考法を、ケース学習をとおして徹底的に叩き込まれました。現実の社会で直面するさまざまな問題についても、認識、分析して、解へと導かねばなりません。

さらには、そうして得た解を周囲に説得し実践する必要があります。いわば、プレゼンの仕方や表現の仕方ですよね。話し方ひとつにしても、「もっと大きな声で」「はっきりと」「簡潔に」と細かく指導されたものです。

また論文も数多く書きました。本を読み、情報を整理し、限られた時間の中で書く。このように、文書化し人に伝えるという作業も実社会では必要になります。

おかげで、論理的に考え、伝えるという一連の流れは比較的得意だという自負があります。振り返ってみると、それは大学時代の学びが礎になっているからだと感じます。

 

――なるほど。先生と同じように、今の学生たちが社会に出て問題にぶつかった時に、解決に向けて考える力がついているといいですね。

中村 それは理想ですよね。

たとえば「組織の定義とは何か」という試験問題が出た時に、試験前に記憶した知識があれば答えることができて、いい成績はとれるかもしれません。しかし、それが社会に出て何かの役に立つかと言われれば疑問です。

知識をいくら詰め込んでも、実社会で使えなければ意味がありません。学問の理論を学ぶだけではなく、社会に出た時に役立てられるかが重要です。そして、社会で得た経験をまた論理的に理論づける、そんな風になるといいでしょう。

ビジネスに携わっている現役の実務家が教員として教えてあげられればいいのでしょうが、なかなかそうもいきません。私自身実務経験がありますが、教員となってしまえばその当時の体験はいつしか陳腐化してしまうもの。ですから、実務で得た知見を学問として論理的に体系化することも重要だと思っています。実務と理論、両輪があると心強いですよね。

大学での学びは、専門学校のように具体的な技術などではないため、すぐに役に立たないことも多いですが、「今まで見えなかったものが見える」「もっとよく見える」といったように、外界を見るためのさまざまなメガネを手に入れるようなものだと思います。いくつもメガネを手に入れて世の中を見れば、きっと社会のしくみが見えてくるはずです。

 
 

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