群馬県立桐生南高校で実施された、千葉商科大学サービス創造学部との共同企画による4回シリーズ「サービス創造熱血講座」。本講座は、キャリア教育の一環として、後輩たちが未来を創造するきっかけにしてほしい、と桐生南高校野球部時代の先輩・後輩であり、現在は千葉商科大学サービス創造学部でともに特命教授を務める佐瀬守男氏と荒木重雄氏の提案をきっかけに実現したものだ。2015年2月26日、シリーズ最終回となった第4回のテーマは「音楽を創る」。講師を務めたシンガーソングライター・近藤薫氏による歌とトークが会場をあたたかく包み込んだ。

 

近藤薫氏と歌って過ごしたひととき、「音楽は人はつなぐ」と学生たちは実感した。


「逃げる」気持ちが音楽業界への第一歩だった

みなさんの中で「音楽関係の仕事に就きたい」という人はどのくらいいるでしょう(誰の手も挙がらない)。ひとりもいないのは寂しいですね……(苦笑)。
じゃあ、「音楽が好きだ」という人はどうでしょう。「歌が好き」「カラオケが好き」という人はいませんか(半分以上の学生の手が挙がる)。
なるほど、半分以上の人が「音楽が好き」だと思っているのに、「音楽の仕事に就きたい」と思う人はゼロというのは、本来おかしなことにも感じます。それだけ音楽関係の仕事内容が見えにくく、どのようにすればその仕事に就けるかわかりづらい、ということなのかもしれませんね。
 
いま僕は、シンガーソングライターという肩書きで仕事をしていますが、「どうやってその仕事に就いたんですか」という質問をよく受けます。そこで、僕がいまの仕事をすることになったいきさつを、少しお話ししたいと思います。
 
僕の音楽人生を振り返ると、その始まりは「逃げる」ことでした。
みなさんと同じ高校生だった頃、僕は大学受験も勉強もしたくありませんでした。無理矢理やりたいことを見つけて、それを親に認めてもらえば勉強をしなくて済む……そんな風に思って音響関係の仕事を目指すことにしたんです。
音響とは、みなさんが持っているCDやダウンロードする音楽のレコーディングをしたり、コンサートPAと呼ばれるライブ会場などの音の環境を整えたり、あるいはテレビの「音声」と呼ばれる業務だったり……さまざまな音を作る仕事です。
その音響を学ぶために、愛知から東京へ出てきました。専門学校へ通いながら1年過ごしましたが、「逃げる」ために始めた勉強ということもあり、なかなか身につきません。いろいろ葛藤した末、結局、地元の音響制作会社に就職することになりました。
荷物をまとめて愛知に戻った時に、一本の電話を受けます。当時ギターや作詞・作曲を趣味でやっていたのですが、友人が僕のデモテープを知り合いに渡したところ、最終的に新人発掘のプロジェクト担当者に届いたらしいのです。その方は、「君の歌を聴いたよ。ぜひ生歌を聴いてみたい」と電話越しに告げました。
そもそも「逃げる」ように決めた就職でしたし、どうしても就きたい仕事だったわけでもない。上京し、彼の前で歌いました。歌を聴いてもらったカラオケボックスで「君は絶対スターになれるよ」と言ってもらったことをいまもよく覚えています。
 

歌声で学生たちの心をつかんだ近藤氏。その経験談に学生たちも引き込まれる。


シンガーソングライターへの道のり

当時20歳の僕は純粋でした。「2年間レッスンを積めば、スターになれる」という彼の言葉を信じ、親の反対を押し切って愛知から再び上京しました。
しかし、そんなに甘い世界のはずがありません。2年間のレッスンを受けて、実際にデビューできるのはほんの一握り。大勢のレッスン生、いわばスター予備軍の中から勝ち上がって来なさいということでした。いま、こういう仕事をしているからこそ、業界の図式はわかるのですが……。
でも2年後、結果的に僕はその事務所をやめることにしました。
 
それからはアルバイトをする日々。そんなある日、同郷の友人が「一緒にバンドをやろうよ」と声をかけてくれました。こうして3人組バンド「スィートショップ」が誕生しました。
このバンド活動がきっかけとなり、ユニコーンやスピッツなども手がけた笹路正徳さんをプロデューサーに迎え、メジャーデビューを果たすことになります。『地平線の向こうへ』という楽曲は、本木雅弘さんや竹内結子さんが出演したテレビ朝日系TVドラマ「スタイル!」の主題歌としてヒットしました。
 
しかしながら、ミュージシャンにとって、デビューはゴールではありません。デビューすること自体、実はさほど難しいことではないのです。それ以上に大切なのは、デビューした後にきちんと評価を受け、プロジェクトを成功させていくこと。そしてその先、売れるのが本当に大変なんです。スィートショップも、その後は大きなヒットに恵まれず、結局2年で解散となりました。
バンド解散後、さまざまな音楽関係者からご縁をいただき、『ハロー&グッバイ』がTVアニメ「テニスの王子様」のエンディングテーマに決まったことをきっかけにソロデビューを果たすことになりました。
以後、シンガーソングライターとして音楽活動を続けています。現在は、自分自身で作ったり歌ったりするほかにも、AKB、V6、東方神起など数々のアーティストに楽曲を提供したりもしています。
 

音楽家としての心がけは「嘘をつかないこと」と近藤氏は語る。


Flower noteに込めた想い

バンドを解散しひとりになった頃、音楽をやめようと考えたことがありました。そんな時、「もう最後に作る曲になるかもしれない」と思って作った楽曲があります。完成した曲をひとり部屋で歌ってみると、そこには等身大の自分がいました。そしてその時、「やっぱり、あきらめちゃいけないんだな」ってあらためて思えたんです。
だからこそ、今日はこの曲をぜひみなさんに聴いてほしいと思います。今でも大切に歌っている『Flower note』です。
 

Flower note   詞・曲/近藤薫

 
たとえば僕が 大富豪の椅子に座っても
たとえば僕が 段ボールの家で暮らしても
 
それでも僕を変わらぬ目で
君は深く見つめてくれるだろうか
 
花柄の手紙を持って君に会いにゆくよ
カラフルな言葉より確かな想い詰め込んで
 
たとえば君が そばにいるときめきよりも
錆びついてても 安定を求め出したら
 
迷わず君の笑顔のため
こんな夢を空へと捨てられるから
 
安物のギターでつくったこんなありふれた歌が
カラフルな言葉より心を包むと信じて
 
花柄の手紙を持って君に会いにゆくよ
カラフルな言葉より確かな想い詰め込んで
安物のギターでつくったこんなありふれた歌を
君がただ微笑んでくれたらそれで笑える それで歌える
 
 

長谷川大輔氏(左)のピアノ伴奏で『Flower note』を熱唱する近藤氏。


楽曲ができる過程を知る

今日、この場に来るにあたり、みなさんのためにオリジナル曲を作ってきました。僕からみなさんへの応援ソング、タイトルは『もうひとりの君』です。
 
右へ行くのか、左へ行くのか。人生には選択が求められる時がある。どんなに意志の強い人でも迷う場面がある。でも、どちらが正解か、なんてわからないもの。
僕自身、42年間の人生を振り返ってみると、迷った時は必ずと言っていいほど直感と強い気持ちで乗り切ってきました。だからこそ、もうひとりの自分が直感で選んだ選択肢を強い気持ちで進んでほしい、そんな想いを込めて作った歌です。
 
そして、今日はそれだけではなく、この歌を題材にして楽曲ができあがっていく雰囲気を味わってほしいと思います。まずはピアノの伴奏にあわせて、メロディをラララだけで歌ってみますね。
(ラララ……とメロディのみを歌唱)
 
自分で作詞まで行う場合は、曲に対してさらに歌詞をつけていきます。プロの作詞家の方に作詞をお願いする場合には、この状態で曲をお渡しします。ビッグアーティストの場合だと、1つの作品に対し2000〜3000の候補曲を聴き比べて選ばれるとも言われています。そうして実際に歌詞がつくと、はじめとは印象が変わってくると思います。
(続いて、ピアノ伴奏に詞を乗せて歌唱)
 
さらには、編曲といって、リズム・パターンやベースなどの音を入れてアレンジしていきます。そうするとさらにまた印象が変わると思います。
(最後に、アレンジを加えたカラオケCDで歌唱)
 
この後、コンピュータで打ち込んでいる部分をアーティストに生で演奏してもらうなど、もっともっとブラッシュアップしながら録音を重ねて作品を仕上げていきます。
作詞家、作曲家、アレンジャー、ミュージシャン、歌手、レコーディング・エンジニア、レコード会社の営業の方々、さらにはCDショップの方たち……とさまざまな人々の手を経て楽曲が作られ、みなさんの手元に届くわけです。
音楽ができあがる過程を少し感じてもらえるでしょうか。
 
この日のために作った『もうひとりの君』もぜひ近々、CDもしくは配信などの形で、桐生南高校のみなさんにお届けしたいと思っています。
 

近藤氏はこの日のために書き下ろした新曲を圧倒的な声量で歌い上げた。


目標は具体的に

音楽の世界でいえば、夢をあきらめずにいてもかなわないケースは多いものです。だけど、夢をあきらめてしまったら絶対にかなわないのも事実。簡単には言えることではないですが、みなさんにも、あきらめずに続けてぜひ夢をかなえてほしいと思います。
 
夢をかなえるために、目標を具体的に持つことをおすすめします。
若い人に将来何になりたいかと尋ねると、「公務員」などと答える人が多いんですよね。でも、公務員は職種じゃない。外交官なのか、先生なのか、その中にもいろいろあるわけです。ピアニストなのか、ギタリストなのか、シンガーなのか、ミュージシャンだっていろいろです。
目標は、より具体的にイメージした方が達成しやすいと僕は信じています。
 
僕が尊敬する作詞家の秋元康さんは「夢は全力で伸ばした手の指先の1ミリ先にある」と言っています。やりたいことを途中であきらめる人は多いですが、もしかしたら頑張り切れてない面があるのかもしれません。僕自身も、もうちょっと頑張らなくっちゃって思っています。
 
音楽業界の仕事に就きたいという人はひとりもいなかったですけど、みなさんの中から、いつか東京で一緒に音楽の仕事をする仲間が出てきたらうれしいですね。ぜひ、またお会いしましょう。
 

コーディネーターの千葉商科大学サービス創造学部・吉田優治学部長。

 

***

 
途中、「みなさん、一緒に歌いましょう」と学生たちに呼びかけた近藤氏。選んだ楽曲は、いまブレイク中のお笑い芸人・クマムシの『あったかいんだからぁ』だった。自ら積極的に全員の前に出て歌う学生も現れるなど、会場には学生たちの歌声と笑い声が響き渡った。
 
「みなさんに『歌いましょう』って言っても、大抵すごく小さな声で歌うんですよね。でも、この会場に来るまでの廊下、みなさん、すごく大きな声でおしゃべりしてたでしょ(笑)。あんなに元気に話せるのに、歌を歌いましょうって言うと、途端にすごくちっちゃな声しか出せくなっちゃう。それは、うまく歌おう、っていう気持ちが強いからかもしれないですね。でも、今日はみなさんが勇気を出して歌ってくれたおかげでとっても楽しい時間が過ごせました」と近藤さんは学生たちをたたえた。
「みなさんがこの会場から外に出たら、そして、高校を卒業生して大学、社会へと旅立ったら、もっともっと勇気が必要になることがあると思います。なにごとにも、ぜひ勇敢に挑戦していってほしいと思います。」
 

臆することなく、「あったかいんだからぁ」を熱唱した男子学生。
 

女子3人組も、恥ずかしそうにしながらも楽しそうに歌を披露した。

 
 
そして最後に近藤氏は、リクエストに応えてもう一度『もうひとりの君』を歌った。偶然にも丘の上に建つ千葉商科大学と桐生南高校。この歌は、両校をつなぎ続ける架け橋となるのかもしれない。
 

もうひとりの君   詞・曲/近藤薫

 
ある朝 目覚めたら
もうひとりの自分が立っていて
「起きようよ」「まだ寝てたいよ」
そんな会話を繰り返してる
 
未来はひとつじゃない
でもたくさんあるわけじゃない
だからよく見てよ 間違えてもいい
自分の瞳(め)で選んでいこう
 
丘の上に埋めた種に
また花がひとつ 咲いたよ 咲いたよ
「頑張ってきて」「でも無理はしないで」
そう もうひとりの君に伝えて
 
(間奏)
 
丘の上に埋めた種に
また花がひとつ 咲いたよ 咲いたよ
「頑張ってきて」「でも無理はしないで」
そう もうひとりの君に
 
丘の上に埋めた種に
また花がひとつ 咲いたよ 咲いたよ
「頑張ってきて」「でも無理はしないで」
そう もうひとりの君に伝えて
 
そう もうひとりの君も君だよ
 
 
▼『もうひとりの君〈DEMO ver.〉』はこちら

 
 

<プロフィール>

近藤 薫(こんどう・かおる)

シンガーソングライター。
1972年生まれ。1999年、ロックバンド「スィートショップ」のボーカリストとしてメジャーデビュー。2004年よりソロ活動。現在はLive活動を全国で展開しながら、AKB、V6、東方神起、郷ひろみなど幅広いアーティストへの提供楽曲やドラマやアニメの主題歌など、数々のヒット曲を生み出している。
 

※関連記事
強い意志とあきらめない気持ち。/荒木重雄
自分の可能性を広げる努力を。/村山哲二
夢をあきらめてからが勝負。/草野翔吾
 

***

 
これまでのサービス創造熱血講座
 

<第1回>11月28日(金)「スポーツビジネスを創る(1)」
講師:荒木 重雄氏
千葉商科大学サービス創造学部特命教授。日本アイ・ビー・エム株式会社、ティー・システムズジャパン株式会社ドイツテレコムグループの代表取締役を経て、2005年に千葉ロッテマリーンズに企画広報部長に就任。事業部長、執行役員事業本部長として球団の経営改革に従事。球団退団後は株式会社スポーツマーケティングラボラトリーを設立。2013年4月、一般社団法人日本野球機構(NPB) 特別参与(侍ジャパン事業戦略担当)。2014年11月、NPBとプロ野球12球団による初の共同事業会社、株式会社NPBエンタープライズの設立に伴い執行役員 事業担当に就任。同時に株式会社ホットランドの取締役も務める。
 

<第2回>2014年12月22日(月)「スポーツビジネスを創る(2)」 
講師:村山 哲二氏
1964年生まれ。1988年、BMW新潟ディーラーに入社。セールスマンを経て、1998年に株式会社電通東日本に入社。サッカーのアルビレックス新潟の発足時より、その運営プロモーションに携わる。2006年に同社を退職し、同年、株式会社ジャパン・ベースボール・マーケティングを設立、代表取締役に就任。翌年、地域のスポーツ活性化を目的として、日本で2番目となる野球の独立リーグ「ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)」を立ち上げる。設立当初は、4チームだったが、2015年には8球団で運営する。
 

<第3回>2015年1月6日(火)「映画を創る」 
講師:草野 翔吾氏
1984年生まれ、早稲田大学社会科学部卒業。大杉漣や麿赤兒らが脚本を読んで出演を快諾した『Mogera Wogura』が学生映画にも関わらず一般劇場で公開。長編映画『からっぽ』は、第4回沖縄国際映画祭、第27回高崎映画祭にて新人監督部門に選出。海外映画祭でも上映され注目を集めた。また、有村架純主演の短編ドラマや、THE BAWDIESのMVなど、映画以外にも精力的な活動をする地元・桐生出身の注目若手映画監督。
 

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