ミュージシャン、音楽プロデューサー、そして世界的DJとさまざまな顔を持ち、幅広いジャンルで活躍する大沢伸一氏。彼が培ってきた音楽観に、千葉商科大学サービス創造学部・吉田優治学部長が迫った。対談の先に、音楽×大学で見えてきた新しい可能性とは。


「カッコよさ」を追い求めて

吉田優治学部長(以下、吉田) 大沢さんは今、日本の音楽業界にどんな思いをもっていますか。
 

大沢伸一氏(以下、大沢) 昔はレコードがあり、CDがあり、その売上が音楽界を支えてきたわけですが、楽曲をダウンロードする時代になり、売上も小さくなりつつあります。日本に限らず世界的な傾向だと思いますが、それでも音楽は生活に必ず存在します。音楽は決してなくならないはずです。
ただ、一人の聴き手としては、ここ10年の日本の音楽は、カッコ悪いと思うんです。その理由は、音楽業界が全体的に「媚びているから」だと思います。
「きっとみんなこう思っているだろうから、こういう曲がいいよね」
「こういうふうに聴きなさい。こういうふうに感じなさい」
そんなふうに、似たような楽曲を上から押し付けられている気がするんです。
音楽家は純粋に自己表現して、それを聴く側が「カッコいいから好き」「カッコ悪いから嫌い」と言えばいいはずなのに、「みんながいいって言っているからいいよね」というところで共感するところに集中して音楽ビジネスが蔓延している気がします。そういう音楽は好きになれないんです。
 

吉田 「カッコいい」と「カッコ悪い」の違いは何でしょう。
 

大沢 「カッコいい」とか「カッコ悪い」という言葉は浅い言葉のように思えるかもしれませんが、その基準が大切な気がします。ぼくは、大衆に迎合して媚びることや、没個性になってしまうのはカッコ悪いと思っています。
 

吉田 誰かに与えられたとか、みんながいいと言っているからではなく、自分が主体的に良いと思えるかどうかってことですね。
 

大沢 そうです。誰かと一緒だと安心するのはよくないことだと思います。もちろん、全部が全部同じ傾向になる必要はないですが、日本の音楽シーンの中では、僕自身がほころびやとんがった存在で居続けたいと思います。
 

吉田 「トガる」ために、具体的にはどうしたらいいでしょう。
 

大沢 たしかに難しいですよね(笑)。でもやはり、自分をもつことですかね。自分の感性、感覚を大切にしてほしいです。もちろん、感覚や考え方も時とともに変わっていくものです。でも、変わっていったとしても、その時々の自分自身の気持ちに嘘をつかないことじゃないですかね。
 

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音楽との出会い

吉田 そもそも、大沢さんと音楽の出会いについて教えてください。
 

大沢 小学生の頃は、もちろんまだインターネットもありませんでした、あの時代はテレビから流れてくる音楽がすべてで、私もいろいろなジャンルの音楽が好きでした。10歳上の兄と5歳上の姉がいたことも影響もあり、彼らが聞いている音楽を聞きながら、「自分が好きなジャンルの音楽を聴くのっていいな」と思うようになっていきました。
 

吉田 ちなみに、音楽の成績はよかったんですか。
 

大沢 小・中学生の頃、音楽の成績が2以上だったことはなかったように思います(笑)。かつて一時、音楽家としての行き詰まりを感じた際に、「学問的に音楽を勉強したほうがいいのかもしれない」と思ったこともあったんですが、ただ今になって自分の音楽人生を振り返ってみると、あえてそうした理論を学ばずにきたことが結果的によかったと思っています。
 

吉田 大沢さんが楽器を始めたきっかけはなんだったのでしょう。
 

大沢 子どもの頃は、カラオケもなかったですし、みんなギターの伴奏で歌うような時代でした。父もそうやってギターを弾いていたので、家にはクラシックギターがありました。父は競輪選手だったのですが、体が屈強ながら、電化製品などをすべて自分で修理するように手先が器用な人でした。楽器も上手に弾きこなしていたのを見て、僕も見よう見真似でギターを弾くようになったんです。
また中学時代に、アコースティックギターを弾くクラスが年に何回かあったことも、影響していると思いますね。
 

吉田 どんな音楽が好きだったんですか。
 

大沢 はじめはそれこそ西城秀樹さんの「傷だらけのローラ」だったんじゃないですかね(笑)。カップリングに、同じ曲のフランス語バージョンが入っていて、いわゆる歌謡曲の歌詞がフランス語だということに斬新で驚かされました。
中学生になり、同年代の友人たちがみなサザンオールスターズなどの音楽を聴いている頃、僕はテクノポップに夢中でした。
楽器ができるから文化祭に駆り出されて、いわゆる人気のある曲を演奏させられるのですが、それは僕の本意ではないという感じでした。周りからは「気持ち悪い音楽が好きだね」と言われたりもしましたが(笑)、僕自身、他人と同じというのがそもそも嫌だったんですよね。
 

吉田 音楽を聴くのと、音楽で表現することはどちらが好きだったのですか。
 

大沢 はじめは自分で音楽をつくるなんて、思いもよりませんでした。
大人びた音楽が好きだったので、「どこに行くとどんな音楽に出会えるだろう」と思い、レコード屋で働いている人やジャズ喫茶のマスターなど、いろいろな大人に会いに行っては話を聞き、いろいろな音楽を探す旅を一人で楽しんでいました。
1980年代のはじめに大好きだったのがYMOでした。今でこそあたり前ですが、コンピュータで音楽を演奏するというのが画期的で衝撃を受けたんです。そうしてただ音楽を聴くことを楽しんでいました。
 

吉田 自分で表現しようと思ったきっかけは。
 

大沢 ある時、家にあったガットギター1本で曲全体を耳コピーしようとしたんです。ギターの音を聴いてギターの真似をする、というだけではなく、すべての楽器をギターで弾いてみるというわけです。
実はあるレコード店の店長に「ギター以外の音をコピーしてギター一本で弾けるようにできたらいいよ」とアドバイスされたのがきっかけだったんです。その時渡されたのが、チャーリー・パーカーのアルバムでした。先生もご存知だと思いますが、5分の曲の内、4分がアドリブというような即興ジャズの世界です(笑)。それでもそんなことに夢中になりながら、楽器も上達していきました。
学生の皆さんと同じように18歳から20歳の頃にはファッションにも興味があって、洋服屋の店長などをしていた時期もありました。
音楽で食べていこうと思ったのは24、25歳になってからだったと思います。バンドをやりながらも、10代の頃とは音楽に対する向き合い方が徐々に変わっていきました。

 

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