島田慎二
株式会社千葉ジェッツふなばし
代表取締役社長
「私が千葉ジェッツを再建するためにクラブに来た時、ルールはもちろん、バスケットに関して何も知らなかったんです。」
千葉商科大学の講義「ユニバーシティ・アワー」で、こう話すのは千葉県唯一のプロバスケットボールチームで、今年1月に開催されたプロとアマが集う天皇杯で頂点に立った「千葉ジェッツ」を運営する株式会社千葉ジェッツふなばし代表取締役の島田慎二氏だ。
この日、「千葉ジェッツが天皇杯で優勝するまで球団社長として何をしたか」と題し、チームを人気、実力ともにNo.1に導いたゆえんを語ってくれた。
5年前まで倒産寸前のチーム
2016年9月に開幕した男子プロバスケットボール「Bリーグ」。1部リーグのB1から3部のB3まであり、日本全国の45チームが所属する。中でも、千葉県船橋市を本拠地とし、千葉商科大学サービス創造学部の公式サポーター企業にも名を連ねる「千葉ジェッツ」は、売上高9.3億、観客13万5000人、平均4503人(2016-17シーズン)と、売上高、観客動員数ともに毎年右肩上がりで成長し、リーグを牽引する存在だ。そんな、今でこそ“イケイケ”の順風満帆なジェッツも、実は5年前までは倒産の危機に瀕していたという。バスケットボール未経験者という島田氏が、なぜ、チケットが入手困難というほどの人気チームに押し上げるまで成長させられたのか――。
島田氏は大学卒業後、旅行代理店に就職し、長く旅行業界に携わっていた。
「学生時代の目標は、将来早くリタイアして、世界中を旅することでした。というのもタレントの大橋巨泉氏が芸能界をセミリタイアして、カナダのバンクーバーと、オーストラリアのゴールドコーストを行き来する生活に衝撃を受けて、そのような生き方がしたいと思ったからでした。30代のうちにセミリタイアすることを考えると、一気に稼ぐには社長になるしかないと、3年間旅行代理店で勤めた後、25歳で独立。30歳の時につくった会社を38歳の時に売却し、それなりの資金を得ることができました。二人の娘がいましたが、夢だった世界中を旅する一人旅もしました。そんな時に、以前の会社でお世話になった方から、千葉ジェッツの経営が厳しいので再建・再生プランを立ててほしいと声をかけられたんです。」
- 株式会社千葉ジェッツふなばし代表取締役の島田慎二氏は、「皆さんも将来の就職について考えることもあるかと思います。まずは自分自身の成功に導くために、自分の足元を知るべきです。そして、皆さんが成長する中で、いろいろな文化を見てほしいと思います。そこに必ずヒントがありますから」と自分の経験談を交えながら学生たちに生き方のアドバイスをする。
やると決めたら絶対にやる
バスケットボールの知識もなかった島田氏だが、恩義のあった方からの頼みということもあって一肌脱ぐことにした。事業の環境分析をすると、船橋は東京のベッドタウンで郷土愛が薄い、日本バスケットボール協会との連携が薄い、チームが弱い、運営資金が少ない、人気がない……といった弱点だらけだった。しかし、そもそもこの地域の人口は決して少なくなく、バスケットの競技人口も多く、資金力のあるベンチャー企業が多いことなどに着目し、魅力的なマーケットであると島田氏は確信。それまで「漠然と運営していた」という会社に「千葉ジェッツを取り巻くすべての人たちとともにハッピーになる」という経営理念と具体的なルールを示し、経営改革に乗り出した。
「社員に結果を出させることで、自信をつけさせた。勝ち癖をつけて、強い組織をつくろうと思ったんです。自分自身の根底に流れているのは、“やると決めたら絶対にやる”ということ。目標を決めたら何が何でもやろうという意志の強さがことを動かすと思っています。それが我々のポリシーにもなっています。」
さらに、当時バスケ界にはエンターテインメント性を重視したbjリーグと、企業の支援を受けた資金力のある実業団チームで成り立つNBLという二つのリーグが存在していたが、bjリーグに所属していた千葉ジェッツは、NBLに移籍をすることを決断した。
「二つのリーグがあっても盛り上がらないと考えていましたし、いつか、必ず統合する時代が来ると予測していました。NBLの方が強いチームで構成されているので、当然bjリーグに所属しているチームでは勝てないだろうから、千葉ジェッツがNBLに移ったら潰れるだろうと揶揄されていました。しかし、私は蟻が象に立ち向かうみたいな構造をつくろうと、そこに勝負をかけたんです。弱小チームが大きなチームに勝負を挑む、その野心に、想いに共感した企業が多く出てきて、一気にスポンサーが増えました」。
他クラブとの差別化を図り、オリジナルのチームカラーとして、“チャレンジャーというクラブイメージの創造”をし、それを実践したことがビジネス拡大の肝だった。
社員の幸せを第一に考える
経営者としての手腕を発揮し、チームを成長させてきた島田氏だが、過去には大きな挫折を味わったとも話す。
「千葉ジェッツの前に自分が設立した会社では、社員が辞めていったり、ボイコットされたり、裁判を起こされたりもしました。それは、30代で自分がセミリタイアをすることが目的になってしまっていたために、自己中心的な考え方になっていたからでした。そこで、私は経営書を読み漁ります。中でも、京セラの創業者である稲盛和夫氏の著書にある、天を敬い人を愛するという『敬天愛人』という言葉には、目から鱗が落ちました。京セラの理念は、『全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること』ですが、それは全従業員、働くスタッフの幸せが会社の存在意義ということ。自己中心的だった私は改心し、社員の幸せを第一に考えたら会社の業績が大幅に伸びました」。
島田氏は、チームの将来について、「今我々が最終目標にしているのは、“地域愛着”。地域密着という言葉がありますが、愛着というのは、我々がアプローチするのではなく、地域に愛されることによって、逆に人々を地域に集めてくるような存在になるということです。利己的に生きないで、利他的に生きる。周りのことを想って行動をしていると、運気が良くなり、成し遂げることができると実感しています」と締めくくった。
副チェアマン、経営者として
その実績が買われ、今年5月からは、Bリーグの副チェアマンとしても始動した。日本のスポーツ界では初めて、一球団の経営者を兼任しながら二束のわらじをはくことになる。「リーグは日本中にある球団を束ねていますが、各球団の経営が向上しないと、リーグも良くならない。日本中に幸せなクラブを増やしてほしいというのが私に課せられた課題です。日本のバスケットボールにかかわるすべての人々ともにハッピーになるといった理念を掲げて再構築したいと考えています」と抱負を述べた。
また、7月3日には、さらなる組織強化を図るための社内の体制変更が行われ、B.LEAGUE初となる女性代表取締役に石井理恵さんが就任。ジェッツがさらに飛躍するための新風を吹き込んでくれるに違いない。
- 千葉ジェッツでもっとも大事にしていることにも言及。「挨拶を変え、掃除を変え、(空)気を変えていくということを大事にしています。掃除をして気をよくして運気をあげて、気持ちいい環境でみんなが仕事をすると、成果が出てお金が入ってきて……と、いい連鎖が生まれてくる。また、会社の方針、チームの方針、選手の行動もすべてブレずに通貫したことが一体感を生み、それが天皇杯優勝にもつながった」とコメントした。
例年、「千葉商科大学マッチデー」として組まれる千葉ジェッツのホームゲームで、会場内のイベントやファンサービスを企画・運営して盛り上げている、サービス創造学部の「千葉ジェッツ・プロジェクト」で代表を務める清田悟くん(同学部3年)は、「経営学を学んでいる石井泰幸教授のゼミナールでも利己的ではなく利他的にと学んでいますが、島田社長のお話を伺ってさらに腑に落ちた気がしています。千葉ジェッツがお客様を集客するためにさまざまな企業努力をしていますが、僕たち、プロジェクトメンバーにとってもジェッツの活性化にいかに貢献するかは大事な目的のひとつです。すごく難しい課題ですが、千葉ジェッツ、大学、プロジェクト、3者がどうしたらWin-Win-Winの関係にすることができるか、1年間を通して取り組んでいます。視野を広く、さまざまな情報を集めながら、それをどう生かすかを追求していきたいと思っています」と大きな収穫を得られたようだった。
<プロフィール>
株式会社千葉ジェッツふなばし 代表取締役社長
1970年新潟県生まれ。日本大学卒業後、1992年株式会社マップインターナショナル(現・株式会社エイチアイエス)入社。1995年に退職後、法人向け海外旅行を扱う株式会社ウエストシップを設立し、2001年に同社取締役を退任する。同年、海外出張専門の旅行を扱う株式会社ハルインターナショナルを設立し、2010年に同社売却、同年にコンサルティング事業を展開する株式会社リカオンを設立。2012年より現職。株式会社ジェッツインターナショナル代表取締役、特定非営利活動法人ドリームヴィレッジ理事長、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)理事、2017年Bリーグ副理事長(副チェアマン)に正式就任予定。