消費者が求める運動サービスを核とした特化型サービス

「スポーツビジネスやエンターテインメントビジネスをやってみたいと思っている人も多いと思いますが、基本的には甘くない世界なのでやらないほうがいい。」
そう話したのは、スポーツのポータルサイト「スポーツナビ」の創業者であり、日本最大級のポータルサイトを運営するヤフー株式会社執行役員の本間浩輔氏だ。千葉商科大学サービス創造学部で、中村聡宏専任講師が担当する講義「スポーツ・エンターテインメントサービス論(愛称:Cheers!)」のゲストスピーカーとして登場した本間氏が「IT×スポーツビジネス」の歴史と未来を語った。


アディダスに見る、スポーツマーケティングの発展とは

最初に伝えたいのは、根性がない人は、スポーツビジネスも、エンターテインメントビジネスに関わらないほうがいいということ。なぜなら、このようなビジネスは狭き門である上に、かかわりたい人は世の中にたくさんいるので、生半可な気持ちでは、生き残っていくのが極めて困難だからです。それを踏まえたうえで、スポーツとインターネットビジネスの関係について紐解いていきたいと思います。
 
皆さんはアディダスを知っていると思います。アディダスは兄弟でつくったブランドですが、アディダスの象徴である「3本線」は、この2人のアイデアから生まれたと言われています。靴の横に3本のラインを入れることによって耐久性と機能性に優れていることを発見したと同時に、その線を目立たせるために白く塗ることで、誰が見てもアディダスのものだと一目でわかるようになりました。ジェシー・オーエンスというアメリカを代表する陸上選手が同社の靴を履いたことで、アディダスは広く普及していきます。これがスポーツマーケティングの初期の話です。
 

「根性がない人は、どんなビジネスをやっても成功しない」と学生たちに熱く説く本間氏。


オリンピックが世界中に与えた影響

オリンピックは、スポーツビジネスをはじめ、世界中にさまざまな影響を与えてきました。
まず、1964年の東京オリンピック。初めてカラーテレビによってスポーツイベントが放送され、スローモーションが本格的に使われるようになった。このことにより、スポーツの魅力はさらに拡がることになりました。
また、1968年のメキシコシティオリンピックの陸上競技男子200mでは、金、銅メダルを獲得したアメリカの黒人選手2人が、表彰式の時にスパイクを履かずに黒い靴下で表彰台にあがり、黒い手袋をはめた拳を天に向かって突き上げました。彼らは黒人たちに選挙権を与えるべきだというアメリカの公民権運動を全世界に伝えたかったのです。この2人の行為はアメリカオリンピック委員会の反感を買い、永久追放されることとなりました。しかし裏を返せば、オリンピックには世界中の人たちに訴えるパワーがあることを証明した歴史的な瞬間でもありました。
日本人にとって大きな問題となるのが言語ですが、スポーツには言語は関係ありません。素晴らしいプレーをすることによって全世界に訴えることができるのが、スポーツの魅力でもあります。
 

本間氏は、1972年ミュンヘン大会でのテロ事件を例に挙げ、以来、オリンピックが会場警備や交通網の整備など多額の費用が必要となるイベントになっていったことを説明した。


スポーツビジネス=メディアビジネス

いくつかの事例を挙げてきましたが、根底にあるのは、オリンピックをはじめとするスポーツは、メディアに取り上げられて、同時に多くの人に見てもらわないと効果がないということ。これがスポーツビジネスの特徴です。「スポーツビジネス」=「メディアビジネス」であり、インターネットビジネスはその延長線上にあります。
 
2000年のシドニーオリンピック期間中に、サッカー元日本代表の中田英寿選手が自分のブログを更新したことが、スポーツ業界で話題となりました。通常、オリンピックを報道できる会社は決められていて、プレスパスを持つ人だけが取材可能です。言い換えれば、選手自身が期間中にブログに書き込むことは認められていなかったのです。このように進化するスポーツメディアにスポーツは対応していくことが求められています。そこに面白さがあると思います。
 

本間氏の熱い講義に、学生たちも熱心に耳を傾ける。


「スポーツナビ」がメディアに起こした大きな革命

インターネットが成長したことによって、スポーツビジネスはどう変わったのでしょうか。僕は2000年にスポーツ専門サイト「スポーツナビ」(2002年よりヤフー株式会社の傘下)をつくり、「IT×スポーツ」においては日本最強の会社にいました。スポーツにおける新しいサービスは、僕たちがつくってきたという自負もあります。
たとえば、そのひとつが記者会見の全文起こし、これはスポーツナビが初めて実施したものです。通常、記者会見は1時間くらいありますが、テレビや新聞など、時間や紙面に限りがあるので、一般のスポーツファンはすべての内容を見たり聞いたりすることができません。そこでスポーツナビでは、会見の全文を文字に起こしてサイトに掲載したのです。
また、テレビを見ることができない人たちに対して野球やサッカーなどの試合内容を文字で伝える「テキスト速報」もヒットしました。テレビ局からはインターネットで速報を流すと視聴率があがらないとお叱りを受けましたが、それでもスポーツナビの社員はやり続けました。
それはなぜか。
「スポーツの素晴らしさをファンに正しく伝えたい」という強い意志と使命感があったから。スポーツやエンターテインメントが好きな人に対して、新しい価値を伝えるという思いが必要なのです。皆さんのなかには、ビジネスは頭がよくないとできないと考える人がいるかもしれません。でも、さきほどの例でテレビ局に怒られたら止めてしまうのが頭のよい人だとしたら、スポーツファンのために誰かに怒られてもやり続ける勇気をもつ人が、成功すると思います。覚悟と言ってもいい。
 

新しい時代をつくるには、覚悟と勇気を持つ人間だと繰り返し訴えた。


5、10年先の新しいビジネスの形

自分のゴルフの成績をインターネット上に書き込むと比較ができたり、ハンディキャップが同じレベルの人と一緒にゴルフに行けたり、中古ゴルフクラブの売り買いとかができたりするゴルフサイトや、マラソンの大会にエントリーする時に、一元的に管理してくれるサイト、さらには、マラソン大会など市民が参加するスポーツ大会の写真を撮ってアップして販売するサイトなど、急成長しているサイトが数々あります。
なかでも、清涼飲料水を販売する「レッドブル」には驚かされました。というのも、それまでのスポーツビジネスは、イベントに関連するさまざまな権利を販売したり、広告を出すことによって儲けを出したりするのが方法論でした。通常のスポーツイベントは、テレビが放送してくれるため世界中の注目を集め権利を高額で販売できるわけですが、しかしレッドブルは、テレビ放映をすることなく盛り上がる競技を自分たちでつくり出し、Facebookの「いいね!」と「シェア」だけで何万人も集めたというのです。スポーツビジネスに対して固定概念がない、新しいセンスを持っている人たちだと思います。この出来事は、これから5年、10年先のスポーツ、エンターテインメントにとって参考になる、新しいビジネスモデルになっていくと思っています。
 

講義終了後、質問する学生たちにアドバイスをする本間氏。


誰にも負けない“本気”を探してほしい

皆さんが仮に正社員として企業に入社したとしても、代わりはいくらでもいます。そのなかで生き残るにはどうしたらよいか。困難や辛いことがあっても自分のゴールを達成するために頑張るんだという覚悟がないと、どのようなビジネスでも成功しないと思います。
5年、10年と、経験のある先輩たちが「無理だ」ということがあるかもしれないですが、そこにとらわれすぎず、皆さんの感性で新しいビジネスをつくり出してほしいと思います。求められるのは、「学力」ではなく「感性」と「覚悟」です。これにかける情熱は誰にも負けないという本気を探してほしい。ぜひセンスを磨いて、これまでのスポーツビジネス、エンターテインメントビジネスの枠にとらわれない、新しいビジネスを起こしてほしいと願っています。
 

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本間氏の講義を受けて、中村専任講師は、「学生たちにとって、仕事に対する姿勢、自分自身との向き合い方を考えるきっかけになればと思いました。本間さんは、自身がスポーツビジネスにかかわる仕事に就いた理由を、『1998年に長野オリンピック、2002年に日韓ワールドカップが日本で開催されましたが、人生のなかで、オリンピックとワールドカップという巨大なスポーツビジネスを体験できる機会なんてないと思ったことがきっかけになった』と話してくださいました。
2020年には東京オリンピック・パラリンピックがやってきます。スポーツの仕事をする、しないにかかわらず、どのように2020年を『ジブンゴト』として迎えるかも大事なテーマだと感じています」と話した。
 

中村聡宏専任講師は、「本間さんからのメッセージはみんなへのエール。ぜひ奮起してほしい」と学生たちに期待した。

 
 

<プロフィール>

本間浩輔(ほんま・こうすけ)

ヤフー株式会社執行役員 ピープル・デベロップメント統括本部長
 
1968年神奈川県生まれ。早稲田大学卒業後、野村総合研究所に入社。コンサルタントを経て、株式会社スポーツ・ナビゲーション(サイト名:スポーツ・ナビ、現ワイズ・スポーツ)の創業にかかわる。2002年、同社はヤフー株式会社の傘下に入り、取締役に。その後、ヤフー・スポーツのプロデューサー、ピープル・デベロップメント本部長などを経て、2014年より現職。