カスタムカービジネスを手掛ける菅沼繁博氏(ムーンオブジャパン株式会社代表取締役社長)が、千葉商科大学サービス創造学部の講義『第9回ユニバーシティ・アワー』に登壇した。菅沼氏は1955年生まれ。日本で空前のアメリカブームが訪れた1970年代に青春を過ごし、アメリカ車とカスタムカルチャーの虜になった。20代にカリフォルニアで見たカーレースに衝撃を受け、いつかの日かこの地へ戻ると決心し、現在では日本とアメリカを頻繁に行き来しながら日米の会社を経営している。ムーンオブジャパン株式会社は、同大学サービス創造学部吉田優治学部長との縁で同学部公式サポーター企業に加わり、本講演はそれを記念して行われた。


テーマパークのようなワクワクする空間
好きなことを仕事に選ぶ生き方

菅沼氏が手掛けるカスタムカービジネスの国内拠点は横浜本牧にあり、カスタムカーのパーツから衣服やアクセサリー、雑貨など60年代のアメリカンスタイルが楽しめる“カスタムカルチャー”商品を販売するショップと、アメリカンコーヒーショップ ムーン・カフェを経営している。
 

横浜本牧のメインストリートで異彩を放つムーンアイズ ショップとカフェ。

 
千葉商科大学サービス創造学部吉田学部長は横浜在住で、菅沼氏と同世代。20代から身近にあった本牧にある菅沼氏のショップやカフェに通ってきたという。吉田学部長もまた青春時代にアメリカの映画やヒットソング、食文化に触れて過ごしてきたひとりだ。本牧にあるショップとカフェは、往年のアメリカンライフを彷彿とさせるテーマパークのようでワクワクする空間だと話す。
本講演冒頭で菅沼氏を紹介した吉田学部長は、「菅沼さんとは様々なご縁もあり、ある時自宅にお招きして、お酒を酌み交わしながら色々お話させていただきました。菅沼さんは自分の好きなことに熱中し、自分がカスタムカーをもっと見たい、知りたい、世の中に広めたいという気持ちで出来ることはすべて取り組んできたとおっしゃいました。この話を聞き、是非とも学生にご講演いただきたいと考えました。
学生の皆さん、卒業後の働き方についてどう考えていますか? 企業に就職して、会社員として割り当てられた仕事をする人生もひとつでしょう。けれど菅沼さんのように、大変だけれども面白いと、好きなことを仕事に選ぶ生き方もあるということを、きょうは講演を聞いて心に留めてもらえたらと思っています」と、参加したおよそ900人の学生に問いかけた。
 

ムーンオブジャパン発行の雑誌『MOON』を手に取って語るサービス創造学部吉田優治学部長。


国内外から15000人超を集める
アジア最大級カスタムカーの祭典

講演開始後すぐにスクリーンで紹介されたのは、ムーンオブジャパンが毎年主催しているイベントで、今年で29回目を迎えた“MOONEYES Street Car Nationals”(2013年お台場・青海駐車場)と、“YOKOHAMA Hot Rod Custom Show”(2014年みなとみらい・パシフィコ横浜)の映像(以下の関連動画参照)だった。カスタムカーとそのオーナーや愛好者たちでにぎわう祭典の様子が、軽やかな1960年代のアメリカのヒットナンバーに乗せて伝えられた。ムーンオブジャパンでは商品販売だけでなく、こうしたイベントの主催にも力を入れている。同イベントでは全国から集まるカスタムカーやバイクの展示を行い、“Street Car Nationals”ではベストカスタムカーの表彰、カスタム用品販売や部品交換会(swap meet)なども行われる。どちらも20年以上続くイベントでアジアでは最大級の規模、毎年国内外から1万5000人超のファンを集めている。2015年の“24th Annual YOKOHAMA HOT ROD CUSTOM SHOW”は、12月6日日曜、パシフィコ横浜にて開催予定だ。
ちなみに、イベントタイトルにある“HOT ROD”(ホットロッド)とはカスタムカーの一ジャンルで、1940年代にアメリカで流行した車の加速性能を上げるカスタムのこと。ムーンオブジャパンは主にホットロッドのカスタムを得意としている。
 

お台場青海駐車場で行われる“Street Car Nationals”

 

パシフィコ横浜の“Hot Rod Custom Show”。天候に左右されないインドアショーだ。


本場カーレースの衝撃と
第二の“アメリカの父”

菅沼氏は55年横浜で生まれ、経営者の父に育てられた。日本の高度成長期とともに学生時代を過ごし、高校生の頃にはアメリカのマクドナルド1号店が銀座にオープンし、毎日のように銀座へ通ってハンバーガーを食べたという。さらに大学時代にアメリカンライフスタイル誌『POPEYE』が発刊されると、空前のアメリカブームが沸き起こった。若者皆がアメリカに憧れていたといってもいいほどだったという。
「学生時代からホットロッドに憧れ、大学時代はひたすらアルバイトをして、貯めたお金を愛車のカスタムに使っていました。78年にもホットロッドの商品が買いたくて、カリフォルニアへ行きました。その時、初めて本場のカーレースを見て、強い衝撃を受けました。もう後先も考えずに『いつかカリフォルニアへ必ず戻る』と、即決してしまったのです。その年にSouthern California Collegeへ留学し、卒業後はウォルトディズニープロダクションジャパンに就職して東京ディズニーランドの起ち上げに関わりましたが、気持ちは常にカリフォルニアにありました。今の仕事にたどり着くまで少し遠回りをしましたが、今思えば、大手企業に就職した数年の経験は今とても役立っていると感じています。」
 
そんな菅沼氏がMOON EQUIPMENT(ムーンオブジャパンの前身)と出会ったのは、83年、新婚旅行で再びカリフォルニアに訪れた時だ。伝説のホットロッダー(HOT RODDER)と呼ばれていたディーン・ムーン氏が経営するMOON EQUIPMENTのショップで、愛車のパーツを買ったのがきっかけだった。
「カリフォルニアから帰ってきて、MOON EQUIPMENTのパーツを車に着けたところ、次々と日本の車仲間たちが同じものが欲しいと言ってきました。言われるままに個人輸入を手伝って、ムーンさんとも連絡を取るうちに仲良くなりました。連絡方法は今と違って国際郵便がメインでしたが、ある時、不意にムーンさんから当時はとても高額だった国際電話がかかってきたのです。車のパーツを安くするから2ダース購入しないか? というお話でした。憧れの存在だったムーンさんからの電話に浮き足だち、これまたすぐにひとつ返事で購入を決めました。」
 
それ以降、時間を見つけてはカリフォルニアへ行ってムーン氏に会い、MOON EQUIPMENTのパーツ販売を積極的に行った。会う度にその人柄に惹き込まれていった菅沼氏は、いつしかムーン氏を“アメリカの父”と呼ぶようになった。
 

熱のこもった菅沼氏の話に学生たちも耳を傾ける。


カリフォルニアにはホットロッド
そしてMOON EQUIPMENTがなくては

そうした縁が高じて86年にはムーン氏から「お前はMOON of Japanだ」と菅沼氏は認められ、MOON EQUIPMENTの日本代理店として横浜元町に小さなショップをオープンした。店舗開店前に勤めていた会社を辞める予定だったが、仕事の引き継ぎが長引き、半年間、平日は会社員、週末は店舗経営の生活が続いた。平日の店舗経営は夫人が支えてくれたという。
ところがその翌年にムーン氏が亡くなり、その3年後にはムーン氏夫人も死去すると、MOON EQUIPMENTは売りに出されることになった。アメリカの企業が数社、買い手として名乗り出たが、彼らが欲しがったのはロゴマークのみで事業の継続しようとするものはなかった。91年にショップを横浜・本牧へ出店し、同時にカフェもオープンしていた菅沼氏はMOON EQUIPMENTの買い取りを思い立った。
 
「わたしはMOON EQUIPMENTのロゴマークだけでなく、このショップも建物も、ディーン・ムーンが残したものすべてを残しておきたかった。カリフォルニアには“青空”と“パームツリー”、そして“ホットロッド”がなくてはならないと思っていたからです」と力強く語る。
その言葉どおり92年にMOON EQUIPMENTを買収に成功するが、初めはアメリカの歴史ある会社を日本人が買い取ったことに嫌悪感を示すアメリカ人もいたという。
講義中盤で紹介されたアメリカのテレビ番組“MOONEYES Interviewed by Classic Car Culture”(以下の関連動画参照)内で、MOONEYES USA(菅沼氏買収後の新社名)代表のチコ・コダマ氏は当時の様子をこう語った。
「僕たちはメディアや業界の人ともうまくやってきたので、みんながサポートしてくれるようになり、やがて自分たちがやりたいことが理解されるようになりました。『お金を稼ぐために、この事業を引き継いだのではない』ということが皆に伝わっていったのです。それはShige(菅沼氏)がいつも、ビジネスよりエンターテインメントを大切にしてきたからでしょう。それが後に、ビジネスにもつながっていきました。」

 

数十年来の信頼関係を築くMOONEYES USA代表チコ・コダマ氏とともに。

 
MOONEYES USAも順調に軌道に乗り、ショップや工場は建物だけでなく雰囲気まで、ムーン氏が生きていた当時のまま引き継がれている。
菅沼氏はこの30年近く、アメリカをはじめ諸外国を回り、世界のカスタムカーやカスタムカーイベントを見守ってきた。菅沼氏が人生をかけてディーン・ムーン氏が起こした事業を愛し、守り、引き継いでいる姿は、世界中の愛好家たちに知られている。
 

ムーン氏が存命していた当時の姿をとどめる、カリフォルニアのMOONEYES USA。

 

菅沼氏と吉田学部長の息もぴたり。熱気あふれる講義となった。

 

<プロフィール>

菅沼繁博(すがぬま・しげひろ)

1955年横浜市出身。学生時代からアメリカのクルマ趣味にのめり込み、78年にカリフォルニアへ留学し、本場のレースやカスタムカーを体感。帰国後、ウォルトディズニープロダクションジャパンへ就職、東京ディズニーランドの立ち上げに参加する傍ら個人で車のパーツ商品の輸入を始める。米国・MOON Equipment の創業者ディーン・ムーン氏と交流を深め、本格的に輸入販売を開始。86年5月、横浜元町にショップをオープン。瞬く間に日本でカリフォルニアのライフスタイルが広がり、91年3月横浜本牧にムーンアイズArea-1、同年5月にはムーン・カフェもオープン。ムーン氏の死後、92年MOON Equipmentを買収。「ムーンアイズが売るのは“モノ”で はなく“夢”である」と語る。

 
 
MOONEYES公式サイトはこちらから
プレスリリース/ムーンオブジャパンが公式サポーター企業に
 

【関連動画】
27th Annual MOONEYES Street Car Nationals 2013

mooneyes YOKOHAMA hotrod custom show 2014

MOONEYES Interviewed by Classic Car Culture

MQQNEYES HONMOKU,YOKOHAMA

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