千葉商科大学サービス創造学部を卒業後、留学期間を経て、この春から外資系企業のシンガポール支社への入社を決めた渡辺成明さん。意外にも、「英語が苦手だった」と語る彼が、半年あまりのフィリピンでの語学留学を経験して、海外で仕事をするまでになったいきさつとは。


コンプレックスに立ち向かう

「大学生活を振り返ると、特に前半は成績こそ悪くなかったものの、あまりやる気のある方ではなかったと思います。友人曰く、口を開けば『眠い』とか『だるい』とばかり言っていたそうです。」
そう言って笑うのは、千葉商科大学サービス創造学部卒業生の渡辺成明さんだ。
転機は大学3年の時にやってきた。マーケティングのゼミに入り、担当教員に期待をかけてもらったことがきっかけとなり、大学生活を前向きに過ごすようになった。
かねてからtwitterやfacebookなどのSNSを積極的に活用していた渡辺さんは、サービス創造学部の吉田優治学部長から声をかけられ、学部でのメディアづくりに関する勉強会に参加するようになった。学部長と直接話をする中で、ある時、就職活動状況や最近の悩みについて聞かれ、当時自身がコンプレックスに感じていたことを伝えた。
「もっともコンプレックスを感じていたのが英語だったんです。英語ができるようになれば就職活動にも選択肢は広がりますし、そもそも自分が一番苦手なものにチャレンジして克服できれば、自分に自信がつくだろうと考えました。それで吉田先生に、『英語を勉強したい』と思っていることを伝えたんです。」
渡辺さんは、当初、カナダやオーストラリアでワーキング・ホリデーを利用することを考えていた。一方、吉田学部長の提案は、フィリピンへの語学留学だった。吉田学部長の教え子である千葉商科大学のOBが、フィリピンでインターナショナルスクールを経営していて、語学留学プログラムを提供していたからだ。
実際に、話を聴いてみると、フィリピン人にとっても英語は第二言語でその習得の難しさを理解していることや、親日感情が強くビジネスがしやすいという背景に加え、留学費用や物価が比較的安いという経済的なメリットなども知ることができた。
「吉田先生に相談していなければ、フィリピン留学という選択肢はなかったと思います。」
こうして、渡辺さんはフィリピン留学を決めた。
 

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フィリピンでの英語習得

渡辺さんは、フィリピンでの語学留学についてこう述懐する。
「中学1年から英語が苦手で、あきらめていました。初めて受けたTOEICは250点でしたが、マークシートをランダムに塗ってももう少しとれると言われました(笑)。それだけに、フィリピンに行ってからも苦労の連続でした。」
フィリピンでは人件費が安いため、講師1人、生徒1人のマンツーマンレッスンが基本だ。多くの場合、1日8時間のマンツーマンレッスンなどがウリだという。
しかし、渡辺さんが通った語学学校では違った。日本人の弱点は、ボキャブラリーなどのインプット量が足りないこと。せっかくのマンツーマンレッスンも、相手が言っていることが全くわからず、1コマ50分の授業が無駄になってしまうため、1日3コマに限定し、グループワークと単語などを覚える自習時間に当てることが推奨されていた。
「フィリピンに行く前からスカイプ面談で僕の状況を把握した上で、学習方法については個別のアドバイスをいただきました。とにかく、それを信じてやるしかないという思いでした。それこそ、中学1年の教科書を使って学習するところからやり直したんです。」
勉強すること自体があまり好きではなかった渡辺さんにとって、この留学期間は苦痛で仕方がなかったと言う。それでも勉強時間は1日13時間に及ぶこともあった。
「留学する7ヶ月間でTOEIC 700点以上をとることを目標に掲げ、周りの友人にも公言していました。大学もすでに卒業していましたし、今回のチャレンジでもしダメだったら、僕は一生ダメだろうというくらいの気持ちで、自分自身にプレッシャーをかけていました。」
渡辺さんにとって、フィリピン留学は、背水の陣という気持ちで臨んだ孤独な戦いだった。
「グループワークで同じクラスだった友人から、『渡辺くん、最近質問されても聞き返さなくなったね』と言われて、英語が上達していることを実感し始めました。たしかに、休みの日にカフェに行っても、店員さんと会話するのが楽しくなってきたんです」
上達が実感できると自信も増した。留学開始から6ヶ月後のTOEICで705点、ついに目標を達成した。
 

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シンガポールでの新生活

帰国後、渡辺さんは就職活動を開始した。しかし、新卒採用前提で就職先を探すと3年生と一緒になってしまうため、さらに1年のブランクができてしまう。「英語力をいかせることといずれアジアで働きたいという希望に近づけそうなこと」(渡辺さん)を条件に中途採用の企業も並行して探している時に、ドイツ系企業のシンガポール支社が人材募集していることを知り合いから聞かされた。
「いずれはアジアで働きたい、という気持ちはあったものの、まずは成熟した日本の企業で3年以上は働きたいと思っていました。でも、こうした話に出会えるのも大きなチャンスだと思い、受けてみることにしたんです。結果的に、想像以上にすんなりと採用していただくことができました。」
こうして4月から、生活の拠点をシンガポールに移して、渡辺さんの新生活が始まった。
「学生生活を振り返って思うのは、大人の人たちと数多く話すことができたことが良かったということです。経験のない学生が言えることなんてたかが知れている、と思って恥ずかしく感じてしまうものですが、勇気を持って吉田先生に言ったからこそ道が開けました。自分自身、大学3年になるまでやる気なく過ごしてしまったところがあって、だからこそ、もっと早く行動していれば……と思ったこともありました。だからこそ、後輩のみなさんには積極的に取り組んでほしいと思います。」
そう話す渡辺さんには、大切な存在の人がいると言う。それが、カークリーニング業を営むアルバイト先の店長だ。厳しい指導やクビの宣告など、店長からのプレッシャーで仲間たちがみな辞めていく中、渡辺さん一人がアルバイトとして残った。辞めなかったのは、その厳しい叱咤は愛情だとわかっていたからだった。そして実際、その店長から「跡を継がないか」と言われたこともあると言う。
「自分の夢を話し、バイト先を辞めて留学に行くことにしました。そしてもちろん、シンガポールで働くことも報告し、応援してもらっています。」
店長と自分との二人三脚で築き上げた信頼関係が、今となっては渡辺さんにとって大切な財産となっている。
「英語で話せるようになった、といっても、ビジネスシーンを想定するとまだまだです。当面の目標は英語力を上げてビジネスの現場で活躍すること。そしていずれ近い将来には、アジアで起業して、自分自身の手でビジネスを創造していきたいと思っています。」
渡辺さんはそう言って、目を輝かせた。
 

***

 
渡辺さんがシンガポールに住み始め、2ヶ月が経った。彼は近況をかく語る。
「仕事では、覚えることの多さや英語力の低さを痛感する日々ですが、会社やチーム内の雰囲気がとてもよく、ストレスなく楽しく過ごしています。同期のメンバーは、シンガポール・マレーシア・インドネシア・中国・台湾・韓国・日本など東アジア各国から集う上、チームのスーパーバイザーはフィリピン人という面白い環境です。あらためて、シンガポールがアジアの中心であることを実感しています。」
海外暮らし、海外勤務ならではの大変さと向き合いながらも、それを楽しんでいる様子だ。渡辺さんのビジネスライフはまだまだ始まったばかりである。
 

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<プロフィール>

渡辺 成明(わたなべ・なりあき)

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2009年千葉県立四街道高等学校卒業後、千葉商科大学サービス創造学部入学。2013年同大学同学部卒業後、半年間のフィリピン語学留学を経て、TOEIC250点から705点にアップさせる。2014年春からはドイツ系企業に勤務し、シンガポールで活躍する日々を送る。