荒木重雄×藤井純一

スポーツビジネスとは何か――。スポーツビジネスの第一線で活躍してきた千葉商科大学サービス創造学部の荒木重雄特命教授と、世界で唯一野球とサッカーのプロ球団社長を経験した藤井純一氏が、「2020年に向けたスポーツビジネスの未来」を語る。

 


スポーツビジネスの始まりは、ロス五輪から

2010年より同学部の特命教授を務める荒木氏は、株式会社千葉ロッテマリーンズ執行役員を経て、現在は株式会社NPBエンタープライズの執行役員事業担当として、侍ジャパンの事業戦略に従事している。一方の藤井氏は、Jリーグのセレッソ大阪を運営する大阪サッカークラブ株式会社でクラブ経営を改革、さらに株式会社北海道日本ハムファイターズではアメリカの野球界のシステムを導入・応用したり、地域密着のファンサービスを行ったりするなど黒字転換を実現し、両球団で社長を務めた。その両者が今回、千葉商科大学の講義「ユニバーシティ・アワー」に登壇し、スポーツビジネスの歴史そして展望について語った。
 

ドラフト会議で日本ハム時代、2007年には中田翔選手、2010年には斎藤佑樹投手を引き当てたことでも知られる藤井純一氏(右)。“黄金の右腕”を上げる場面も。

 

スポーツビジネスの歴史は浅く、1984年のロサンゼルスオリンピックで始まった。アマチュアリズムを重視してきたオリンピックが、商業的な権利ビジネスとして生まれ変わったことを機に、欧米で発展してきた。一方、日本はというと「おそらく1993年、Jリーグが開幕した時のこと」と藤井氏は言う。わずか23年前のことである。
 

教室内を歩き回り、学生たちに質問を投げかける藤井氏。


時代とともに変化するスポーツの形

スポーツマーケティングとは具体的にはどのようなビジネスを言うのだろう。荒木特命教授は次の2つを挙げた。
 
1.スポーツそのものを商品として、販売すること。
2.1でできた“商品”を他の企業が活用して、商売につなげていくこと。具体的には、スポーツ関連のメディア事業、スポーツを使ったコンテンツ事業など。
 
11月に行われた野球の世界大会「プレミア12」を例に挙げ、具体的に説明。2週間の大会ながら、広告代理店やメディアをはじめ、ツアー会社、マネジメント会社など、多岐にわたる企業の人間がひとつのプロジェクトにかかわっていると明かした。
一方藤井氏は、「社会情勢や時代によってスポーツビジネスの形が変わってきている」と語る。「現在、少子高齢化の時代。2005年には26%だった60歳以上の人口が、2050年には40%以上になっているといわれています。“健康づくり”という観点のスポーツは、今後大きなテーマになる。さらに、“国際化”が進んでいることもキーワードとして挙げられます。プレミア12をはじめ、昨今さまざまな世界大会が日本国内でも行われるようになっていますからね。」
 

「スポーツビジネスのイメージは、プロ野球やJリーグなど球団をイメージしますが、実は全体の1割。残りの9割は直接的にスポーツをしているわけではないのです」と荒木重雄特命教授は語る。


キーワードは「集客」

続いて、事業面から見た日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズについて語られた。
「今でこそ、千葉ロッテも日本ハムも100億円近い売上の球団に成長しましたが、2004年の千葉ロッテは大きな赤字を出していました。私が入社した2005年を球団改革元年と称し、そこから3年間で大きな改革を行い、結果を出すことができました。実は、その時の日本ハムもすごい盛り上がりを見せていましたよね」と荒木特命教授。
それに対して藤井氏は、「我々のビジネスは、“集客”がキーワード。スポンサーがつくのも、集客があってこそ。ですから、まずはお客様に知ってもらい見に来てもらうことが大事。ファンサービスにも力を入れました」と答えた。また、広い北海道を本拠地としている日本ハムだからこそ、テレビメディアを存分に活用したという。テレビ放映権料に関しても、「多く放送をすればするほどディスカウントするなど、北海道のローカル局が相手だからこそできる工夫があった。これは、東京ドームを本拠地にしていた頃のように、首都圏で放送している民放キー局相手ではできなかったこと」と言及した。
 
一方、首都圏の千葉ロッテは、デジタル戦略に徹した。「野球とは無関係の、世の中のさまざまなサービスの基本を取り入れたことが入場者数増加、そしてファンクラブ会員の獲得につながりました。単に業界を知るだけではなく、ありとあらゆるサービスを勉強して、それを掛け合わせたり、足したり、割ったりすることこそがこれからの時代には必要です。」(荒木特命教授)
 

「日本ハムはそもそも東京ドームが本拠地でしたが、2004年に北海道をフランチャイズにしました。道民で日本ハムを知っている人は当時2%。ほとんどがジャイアンツファンでしたから、ファン獲得には苦労しました」と藤井氏。


スポーツビジネスに求められているのは“人材”

同大学サービス創造学部の吉田優治学部長からは、両者に対して「2020年スポーツビジネスはどう変わるのか」という質問がされた。
「多くの感動を与えるスポーツは、国境も超えます。言語が違ってもスポーツのルールは共通。スポーツビジネスはいずれ世界的なビジネスになっていくはず。」(藤井氏)
「経済が発展している国、あるいは発展の途上において、原動力となるのがスポーツです。
日本が高度経済成長の時代、巨人やプロレスが国民を支えたように、スポーツは国民の心を豊かにします。現在のアジアは、何十倍もすごいスピードで高度成長していますが、スポーツビジネスはまだまだ発展途上です。時差もさほど無いアジアは、生放送との親和性が大きいことを考えても、東京オリンピック・パラリンピックまでにもっと洗練されたビジネスの仕組みをつくり、アジアに輸出するチャンスだと考えます。ただし、ひとつだけ足りないものがあるとしたら、それは人材。アメリカではスポーツビジネスのことを“Dream Job”というほど人気の仕事です。私たちもまさにいま、コンテンツを一緒につくってくれる仲間を絶賛募集中。ここで期待する人材は、ただスポーツビジネスを勉強するだけではなく、マーケティング、会計、経営など、学問分野でも基礎的な自分の強みをつけてもらえたらと思っています。」(荒木特命教授)
 
2020年東京オリンピック・パラリンピックを5年後に控え、ゴールドパートナー(スポンサー企業)が決まった。スポンサー収入が約1800億円に達したことについて、荒木特命教授は「まだ誰が出場するかもわからない、どんな大会になるかもわからない“商品”に対して、これだけの協賛額が集まっている。それはなぜかといえば、スポーツの可能性や魅力があるからです。東京オリンピック・パラリンピックでは、さまざまな産業が絡み合うはず。20代の皆さんもぜひ、アンテナを伸ばして、オリンピックにかかわるチャンスを窺ってほしい。僕もまた、このど真ん中で仕事ができたら素敵なことだと思っています」と締めくくった。
 

荒木特命教授、藤井氏が、千葉商科大学サービス創造学部の吉田優治学部長(右)とともに。

 

<プロフィール>

荒木重雄(あらき・しげお)

1986年日本IBM入社。国際ネットワーク事業に9年従事した後、欧米系通信会社の日本法人の要職を歴任。2005年千葉ロッテマリーンズに企画広報部長として入社、後に執行役員事業本部長を務める。2007年パシフィックリーグマーケティング株式会社(PLM)の設立に伴い、同社の執行役員、取締役。2009年千葉ロッテマリーンズ退団後、株式会社スポーツマーケティングラボラトリーを設立。2013年4月より一般社団法人日本野球機構(NPB) 特別参与(侍ジャパン事業戦略担当)。2014年株式会社NPBエンタープライズ執行役員事業担当に就任。これまで日本サッカー協会(JFA)広報委員、日本トップリーグ連携機構プロジェクトメンバー、文部科学省委託事業「スポーツの環境の整備に関する調査研究事業」プロジェクトメンバー、国土交通省・観光庁「スポーツ・ツーリズム推進連絡会議」委員などを歴任。千葉商科大学サービス創造学部特命教授。 
 

藤井純一(ふじい・じゅんいち)

1973年、日本ハム株式会社に入社し、1996年には本社宣伝室次長に就任。翌年、Jリーグクラブのセレッソ大阪(大阪サッカークラブ株式会社)取締役事業本部長に就任、2000年に同社代表取締役社長に。2005年、株式会社北海道日本ハムファイターズ常務執行役員事業本部長に就任。5年にわたり代表取締役社長を務める。近畿大学経営学部教授、立命館大学大学院スポーツ健康科学研究科非常勤講師を経て、現在は株式会社スポーツマーケティングラボラトリー取締役。
 

 

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